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2010年10月

劉氏にノーベル平和賞が贈られる!

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 [ チェコ/チェスキークルムロフ城から中世の旧市街地を展望]

この間の尖閣諸島における巡視船と漁船の衝突問題で、中国は日本政府と経済界に対してかなり強硬な態度を剥き出しにしてきたが、これが中国の政治体制の本性であることに、日本政府があらためて気付いたのは遅すぎる感があります。

中国は経済において世界に向けて開放することで国力が増し、大きな成長を遂げてきました。そして、今回のように、中国が怒ると日本や他のアジア諸国にとってはとても怖い存在にまでなったということが今回の事件でやっと気付いたようです。

もし、中国が経済に関して自由開放をしていなかったら、そんなに恐れるに足らない存在のままだったと思います。日本は中国との活発な経済交流のお陰で日常生活品を安く手に入れることができ、ある一面ではおかげで豊かな生活を送ることができました。

しかし、日本の工業においては生産拠点の移設で国内産業が空洞化して、生産に従事する職場を失い、多くの製造業における失業を生み出しました。また、農業においても輸入農産物のおかげで、日本の農業にたずさわる人々にとっては価格競争にはついて行けず、農村が疲弊してしまいました。これは日本の農業の転換期として考えさせられます。

そういう意味では、日本の格差社会を生み出した要因のひとつには、こうした中国との経済交流が始まってからだと言えます。

でも、中国が本当に力を出すには至っていません。それは、民主化があるところで停止しているからです。一党独裁の政治体制は国内では安定します。しかし、他国との付き合いにおいてその体制思想でも他国とうまくやれている場合は疲弊しませんが、そうでないときは疲弊します。

中国は、一党独裁という体制で、現在、うまく隣国と仲良く付き合っていますが、利権のからむ領土問題になると突然剥き出しな態度で威圧的になります。それは資源という大きな財産があるからでしょう。これはどの国でも同じで中国だけがそうだとは言えないですね。

昨今の中国の発展には目を見張るものがあります。それは、人材にしてもそれに比例して世界各国には優秀な中国人が留学していて、そのうち科学に関してもノーベル賞を多く受賞する中国人がこれから恐らく多く傑出するに違いありません。人口の比からしてもそうなって不思議ではありません。

しかし、世界に散らばった優秀な中国人が反体制のため帰国できなくなっている現実が、体制の変革によって人権と発言において自由が保障される国として新たに出発した時は、一体どうなるのでしょうか?

もちろん、科学技術や芸術においては大いにプラスになり、もはや、世界は中国の黄金時代になる可能性を秘めています。

でも、下手をすると逆に国家の運営が多極化して分裂するでしょう。もともと単一民族ではありませんから、ソビエト連邦のように分裂して独立してしまうことだってあるでしょう。

そうしますと、国家のパワーとしては落ちてしまいます。

でも、大切なのは人々の生き方にあるわけです。

いくら国が大きくなって強国となっても民衆の自由が抑圧されていては人が生きる上において辛いものがあります。

日本にとっては、今のような中国であれば自由阻害によって真の飛躍が止まっているので、一見安心のようですが、隣人の幸せは自分の幸福と同一ですからやはりとことん話し合う必要があるでしょう。

中国と真の付き合いが始まるのはやはり、自由意志が尊重される国として再出発したときでしょう。なんといっても中国は、アジアの長男ですから(日本は三男かな?)その堅物の長男が三男に手を上げるようなことをしていては中国の偉人である魯迅が泣くでしょう。

今回の中国人の受賞は、ノーベル賞を受賞した劉氏が監獄に入れられている現状が今の体制を表現しているということになりますから誠に皮肉というものです。ノーベル平和賞が政治的と言われても仕方ないですね。

しかし、一体、劉氏の罪は人々を不幸にする罪なのだろうか?内政不干渉というのは大切ですが、こと、人権に関しては別問題でしょう。世界が人権に関して無関心でおれないのが現代の世界常識というものですから。

by  大藪光政

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