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2008年8月

中国のオリンピックが終わって・・・

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今年の夏は、お盆までがとてつもなく暑くて敵いませんでしたが、お盆を過ぎると、今までの暑さが嘘みたいに一日一日と涼しくなってきました。そして、雨も適度によく降るようになりました。

そうした今年の夏では、どこの家庭もオリンピックで日本選手が活躍するのを観戦する為、テレビに釘付けだったようですね。当方は、構えてテレビを見るというのは、あの女子ソフトボールのアメリカとの決勝ぐらいだったと思います。

偶然、準決勝の延長戦を綱渡りで上野投手が力投しているのを、前年、佐賀県立の高校が甲子園で活躍していたのとダブった印象で見ることができました。それで、感激して、次の日は、最初からテレビの前に座って観戦しました。

もともとスポーツに限らず、人がやることを観戦するより、自分がやった方が好きなタイプですから、こうしてわざわざ時間を割いて見るのは珍しいことです。たとえば世の中、色々なゲーム機が出回っていますが、そうしたものに触れることはまずありません。逆に、そうしたゲームのプログラムをまだ誰も開発していない頃(30年前)に、趣味で作ったことはあります。

これは結構、はまって作りました。プログラムから、それに必要な音源としてのシンセサイザー、そして、プログラムをテープにメモリーしてロードするための色々な方式 (トーンや周波数による書き込みシステム) 要するに、CPUの基盤組み立てから、周辺機器 I/Oなどなど、色々試しました。当時は、そうしたものは手に入りにくいですから、自分で作ることになります。

プログラムがうまく動作しない場合は、マシン語から二進法まで下って解析して、その二進法の計算結果から、16進法の"F"と"E"のアルファベットの入力間違いに気付くということもあり、ゲームをつくるというより、緻密な数値制御といった感がありました。それでも、やっていて面白いものがありました。

中国の開会式は、まるでコンピューターゲームのように、マスゲームの一糸乱れぬ演出があり、感心しましたが、その開会式は、コンピューターの画像処理による偽装演出もあったとか?噂されていますね。しかし、あれだけのイベントを企画するのは、面白さを超えて、作る方は必死だったのでは、と思います。つまり、国家の威信が掛かっていますから。

さて、中国のオリンピックが終わって、中国の設備投資も一息なので、そうした関連資源の消費が少し鎮火して、金属やエネルギー資源の価格高騰も一息つくかどうかで、日本経済にも影響をもたらします。四月は、鉄が値上がって、そのうちステンレスや銅も値上がるのではと、四月ごろに囁かれていましたが、どういう状況か現在のところ予断を許しません。

とくに、石油はもう値下がることはない気配ですし、その為航空運賃は、サーチャージを導入して消費者に負担を強いていますね。トラック協会も、なんとしても荷運賃+燃料のサーチャージを認めてもらおうと必死です。

このままで行きますと、消費物価はいやでも、さらにインフレになるでしょう。これが市民生活を直撃して、消費の低迷を迎え、マイナス成長としてスパイラル状の下落が起きないかと心配です。

そうしたときに、中小企業はどういう手を打てばよいのか?ということになり、結局、経営者の腕の見せ所となります。世の中が厳しくなればなるほど企業は社長で決まりますから、「社長どうしますか?」ということになります。

中国のオリンピックが終わっても、依然として原材料が高騰すれば、企業はそれなりの覚悟がいります。すでに、負債を抱えている企業は、負債がこれ以上膨張しないうちに、会社を整理することがベストとなる、厳しい判断も大切です。何故なら、中小企業の殆どが、経営者の個人担保で資金面は運営されているからです。

特に、下請け企業の場合は、こうした原材料高騰のしわ寄せが、大企業より、看板方式だの、ジャストタイムシステムだので、容赦なく、運送経費から跳ね返ってきますから、とてもではありませんね。だから覚悟が必要なのです。運送のサーチャージなんてものを下請けが要求出来るのであれば別ですが、そんなこと認めて貰えません。それこそ、行政で指導すればなんとかなるかもしれませんが、行政はそんなことはしませんから、やはり覚悟しないといけません。

こんなことの対策を、赤字続きで、身動きが取れなくなってから、検討し始めても遅いのです。出来れば、損失が拡大する前に無策な企業は、恥じることなく早く解散して退くのも立派な戦略です。それには勇気がいるからです。

中小企業で、これから起きる資源の高騰に対応できる体制は、やはり大企業のような本格的なITによる省力化と合理化を行うとか、競合のないニッチな分野に挑戦するか、固定費を大きく抑え、企業の財務負荷を軽くするか、新技術で勝負するか?といった道が残されていますが、どの道も茨の道です。

経営で大切なことは、やはり哲学をもってして、行動しないと長期展開としては必ず、行き詰まるということです。企業は毎日が、百戦錬磨の日々です。それは、言い換えますと、ロックがいう経験に基づく知識が、ものを言います。

それは、どう云う事かと申しますと、たとえば、会社の社員、設備、技術、資産などを、どこまで鋭く見ているか?ということです。

自分がものを見るという行為と、他人がものを見る行為は、一見、ものを見るという行為には違いがありませんが、実は大変異なっているのです。物自体は同じものだから、誰が見ても同じというのは錯覚です。ものは、人の見方によってものが違うのです。

こんなことを科学的な見地からしてみますと、おかしな言い分なのですが、哲学的な思考で考えますと、ものを見る人の主観は、その人の経験の範疇でしか見抜くことが出来ないということを申し上げたいのです。

ですから、自社の現状をどこまで見抜いているかは、社長の経験値によってしか見抜けないのです。そこで、部下の意見、或いは社外のコンサルの意見を聞くということをすれば、ということになりますが、それでも、それらの他人の意見を己の意思決定に反映するところは、やはり自身の経験値からでしか、判断のしょうがないなのです。

その経験値が乏しいのであれば、書物の力を借りて、仮想の経験値を増大させることで対処ということになりますが、それは、PCの仮想メモリーと同じで、実の経験値ほどの効き目はありません。しかもそれらは日頃、実経験と絡ませながら、たゆまずにやっていないと、いざというときには間に合いません。

従って、経営者は仕事のために、己を磨いて行き続けることを旨とする人でないと務まりません。

それが生きがいだと感ずる経営者は、経営者でなくても善い人生が送れる人なのです。

by 大藪光政

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社会における競争の原理について・・・

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自由資本主義社会においては、競争の原理というものがあります。しかし、その過激な競争の果てに、独り勝ちで寡占化される恐れがあります。それに対応して硬直化した社会になることを防止する寡占化防止の独禁法という立派な法律がありますから、社会の仕組みとしては大変うまくできています。

一般的に企業が硬直化しにくいのは、同業他社との熾烈な戦いによる、切磋琢磨があるのも一つの理由ですが、組織が硬直化したら、他社との競争で生き残れないからでしょう。

しかし、業態によっては過去、もともと競争のない独占事業、例えば、日本国有鉄道、日本電信電話公社などは、現在のJR、NTTに比べると、とてもひどかった。(完全な寡占事業だったからでしょう。)

また、事業の特殊性から、穏やかなビジネス。例えば、銀行業務などは最近こそ、競争が激しくなってきましたが、以前はどこもかしこも、似たもの同士の統一されたサービスだったので消費者とっては不満のサービスだったと思います。

そうしてみますと、マンモスの組織といえども、硬直化するとやがて時代の波に、さらされて解体されるのでしょう。

今はインターネット時代ですから、次々に新しい競争の原理が働いて、躍進する企業、衰退して行く企業と、様変わりしています。その中には、インターネットに向いているブックショップなどは、生存競争で勝ち抜いて行くので、逆にご近所の本屋さんの経営を圧迫しています。常日頃、どんなに努力していても時代の変化に対応仕切らない企業は、ある意味では、硬直化した考えを持った経営と言えます。

さて、社会全体を見回してみると、やっと郵政民営化が始まったばかりですが、まだまだ寡占的な経営をしている事業があります。それは様々な行政機関でしょう。行政は、ある意味で経営的性格を有しています。

それは、お金を消費するからです。どんな公的機関でも、必ず経費が発生しますから、運営によっては無駄な消費も発生しますので、ほっとけば財政が赤字になります。

しかし、もう、これは過去形ですね。

最近、行政は入札制度などを改善してお金の使い方を工夫することで、経営の改善をしています。しかし、どうもその行政組織そのものが硬直化していますから、無駄な行政がまだまだ、はびこっています。

地方自治と一言にいっても、本当に地方自治体だけに任せて良いのかは、かなり疑問が残ります。それは、自助浄化機能が働かないからです。行政をコントロールすべき議員は、自分たちにとって都合の悪い改善はしません。

地方の議員などという職種は、本当に必要なのか?疑問です。現世利益の口利きで仕事をしているのが、実態ですから、誰のための何のための仕事をしているのか?疑問です。

この間、議員に日給制を取り入れた自治体の記事が出ていましたが、なるほど!そうすれば、家業片手間に議員の仕事をやられても、文句はないなあ~と思いました。でも、世の中結構ずるい議員もいますから出席だけして、あとで公務を抜け出す議員もいるでしょう。どこかの自治体では、行政職の公務員まで仕事を抜け出して遊んでいたくらいですから・・・。

小さなところを言えば、町内会でも、競争の原理がありませんから、「今までやっていたことをやれば、それで良い。」と、思っている役員がほとんどですから、時が経つにつれ、変革をやらない町内会は、時代に迎合しない行事などから、どうも徐々にすたれていっているみたいです。中には、すたれようが、どうなろうが、自分の知ったことではないと思っている人もいるでしょう。

活動が活発な町内会には、行政からの手厚い予算がもらえるとなれば、少しは他の町内会との競争の原理が働くかもしれませんが、駄目な町内会でも、すたれることはあってもつぶされる事は無いので、やはり、やる気のない役員で構成されれば結果は同じかもしれません。

行政や企業も町内会も立場はそれぞれ違いますが、ひとりひとりの働く人のモチベーションが高まらないと、何をやっても難しいというのは同じですね。

だから結局は、『人のこころ』の問題にぶつかりますね。

住民も、議員も、社員もみんな『人』ですから、『こころ』の問題になります。

そうした個々の人々の、『こころ』を啓蒙させるのは、行政の長であり、企業の経営者でもあるわけですから、やはり、トップがしっかりしていないと駄目だということでしょう。

競争の原理は、自然の法則でもあるわけですから、社会での『競争の原理』で、トップが理性を働かせて取り組まなければならないのは、トップが『天』に代わって采配を振らねばならないからでしょう。

by  大藪光政 

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