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2008年2月

危機から学ぶ自己責任について・・・

20080202_006 今日、法人会のバスツアーで玄海原子力発電所にあるエネルギーパークを見学しました。天気は曇り時々霧雨程度で少し寒かったかなと思うぐらいでしたが、・・・中にはかなり寒いという人もおられましたが、まずまずのツアーコンディションでした。

日本には、現在稼動中と稼動停止、それから建設中を含めますと、平成10年10月現在で、全部で68基あります。しかし、これは原子力発電所の数ではなく、原子炉の数です。

発電所の数としては、全国で19ヵ所あります。そして、地元九州での電力としてのウェイトは、総発電量のなんと41%を占めています。

20080202_002これだけのシェアだから、原油が高騰しても電気代として直接的な影響は出ないのです。ちなみに石油等は、わずかの6%しかありません。

日本のエネルギー依存度は、原子力に依存しているといって過言ではありません。もし、これを石油に依存していたとしたら、電気料金の高騰や二酸化炭素だけでなく空気汚染を引き起こす物質による環境破壊も引き起こしていたはずです。

こうしたことを考えますと、玄海発電所が昭和42年7月に現地調査を開始してから4号機が稼動するまでの歳月が約30年掛かっていますから、こうした恩恵を受けている以上、当時の判断は正しかったと言わざるを得ません。

水力発電所の建設も多くの歳月を要しますが、原子力発電所もかなりの歳月が掛かることには、いささか驚きます。それは、やはり安全性と環境問題、そして地域に対する理解を得るというところで、かなりの時間を要するからでしょう。そこのとろは水力発電所とよく似ています。

現在の原子力発電所が安全であるか否かを論ずることは、愚問のような気がします。それは、安全と思うこと自体が危険に繋がる要素を含んでいるからです。危険度から云えば確かに、一歩間違えると多くの被害が起きるでしょう。

20080202_003、原子力発電所は大変危険な施設であることを、近郊の住民はもちろん、それに携わって働く人々は(通常は1500人で、点検等の時は3000人がそこで作業されるとのことです)必要以上にそのことを認識していなければ、危険と想定しているものが、結果として本当の危険になります。

人が死ぬという時、個人すなわち己が死ぬということは当たり前過ぎますが、原子力発電所内事故で死亡する場合と交通事故で死ぬ場合、いずれも個人としては死ぬことに関しては同じです。しかし、交通事故で死んだ人は恐らく、車は原子力より安全だと思っていたでしょう。よもや原子力より車の方が危険であると思う人はわずかだと思います。しかし、そう思うのが大変危険なのです。

20080202_014 毎年、交通事故の負傷者は100万人を前後し、死亡者も5~6千人出ています。この数字を見て、車が如何に危険なものであるのか?そう思う人は果たして何人おられるでしょう。すなわち、これは次元が違うということでしょう。一度に大量の人が死ぬことと、人一人や二人が死ぬこととは、個人としては、同じ死ですが社会的には違いがあるのです。

飛行機が墜落しますと、殆ど全員が無くなります。現在の航空機は大型化していますから、一度に何百人と人が亡くなります。しかし、事故の件数からいきますと、乗り物の中で圧倒的に航空機が事故の確率からいきますと一番低いのです。

つまり、一度に大量の人々が死ぬということを社会は一番恐れているのでしょう。それは、種の保存という本能からくるものかもしれません。そうでなければ個人としての死の場合は、病気や事故などのいかなる要因であっても死ぬことには違いないので意味のないことです。従って大量の人々がこうむる事故は社会的に許しがたいということなのでしょう。

20080202_020 これを個人の視点から考えますと、社会的だろうが何だろうが、己の危険に対しては是非とも回避したいのが普通です。そうであれば、社会がそうした危険から守ってくれることがない限り、自身の行動で回避するしかありません。

その方法は、車だと小さな車を運転しないとか、極力車に乗らないということになりますが、便利さと天秤をかけると無理があります。航空機だと新幹線を利用するとかいったことになります。そして、原子力事故からの回避は、原子力発電所の近郊には住まない。といったことになり、そうもいかない事情の方もいるでしょう。

畢竟、人は生きているかぎり、身の危険は常に付きまとうものです。その危険を回避することに対しての対策を社会がしてくれると期待することと自身の身を守ることとは、はっきり区別して掛からないと最終的には自身に降りかかってきますから結末は見えているはずです。最終的には自己責任になってしまいます。

20080202_032 この間の中国の冷凍餃子事件は、まだ要因は不明ですが、中国の人はこうした問題すら自己責任だといっています。心配だったら買わなければいい。何故騒ぐのか?と。要するに安いから、そして手っ取り早く食べられるからといった便利さと安易さで食を求めるからには、それだけのリスクはあっても不思議ではないと理解している人々がいるようです。

この件もまた、少し次元の違う問題なのですが、共通していることは利便性の裏には常にリスクがともなうということを意味しています。つまり、自己責任が伴う事を覚悟して考え、かつ行動しないといけないということです。

原子力は如何なる安全対策・・・それが五重の安全構造になっていても、安全であると思った瞬間から危なくなるのだと思います。そして今も残る一番の課題は放射能汚染でしょう。廃棄物に存在する放射能をどうやって処理するのか?その技術と対策がまだ未解決でもあります。その放射能のエネルギーをうまく害のない状態に簡単に変換する技術が確立すれば、それは大変素晴らしいですが現実は科学の力でも困難です。

それと忘れてはいけないことは、そうしたリスクを背負った住民の方々の存在や、安全な原子力を開発し、維持する多くの人々の支えでもってその恩恵である家庭の灯火が維持されているということの有難さを当たり前と思わず、感謝する気持ちを持たなければと思います。

by 大藪光政

(写真は、施設と蒸気廃熱を利用して育った花です)

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